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今年の思い出のゲーム

今年も12月30日に書きます。ちなみに、観戦成績については、10月26日付に書いてます。

毎年書いていることですが、私の場合、試合も然ることながら、試合以外でどれだけ記憶に残るのかという所に軸足に置いてます。

そういう点では、今年について云えば、

6月の札幌遠征



9月28日広島市民球場

になりますかね。

試合自体は、札幌では1勝1敗、ただ宮本の1500本安打達成の瞬間を生で見ることができました。広島市民球場公式戦最終戦、あの雰囲気を味わえた事は、スワファンと云うより一野球ファンとして、誇りにしたいですね。そういう意味では、来年オープン戦とはいえ、現市民球場で試合をやる(スワ戦1試合あり)というのは、気持ち的には少し複雑ではあります。後は、5月18日の甲子園の福地の勝ち越しソロ、4月13日の東京ドームも興奮した試合でした。地方球場と云う事では、10月4日の長崎ですね。試合そのものも違う意味で、記憶に残りました。

ちなみに今年、ファンが選んだ神宮ベストゲームは、

3月28日読売戦

でした。昨年は最終戦(神宮の)、今年は開幕戦、昨年はベストゲームと云うより、思い出に残った試合という視点でしょうけど、今年はインパクトを与えたというゲームでしたね。この試合、私は仕事で間に合いませんでしたけどね。
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テーマ : 東京ヤクルトスワローズ
ジャンル : スポーツ

蝶野正洋vsスワローズマン

今日は、スポーツ紙各紙、これでした。


スワローズマンが蝶野と合体…ヤクルト・五十嵐激似の覆面男

 ヤクルト・五十嵐亮太投手(29)に酷似した謎の覆面男「スワローズマン」が28日、東京・下北沢のアリストトリストで新日本プロレスの蝶野正洋(45)と会談を行い、電撃合体を果たした。

 五十嵐の背番号「53」が刺しゅうされたマスクをかぶった男が、蝶野を質問攻めにした。スワローズマンの友人で、代理人でもある五十嵐は所用で欠席したが、数々の故障を乗り越え、45歳となった今もなおプロレス界の中心に君臨し続ける“黒のカリスマ”からトレーニング論、モチベーションの保ち方などを熱心に聞き出した。

 約1時間の会談を終えたスワローズマンは「五十嵐が40歳まで投げたがっているので、代理で聞かせてもらったんです。さすが一流のアスリートですね」と興奮しきり。「『安定を不安と思う気持ちがないと、そこで終わってしまう』という話は共感できましたね。自分が成長するために、刺激がほしいんですよ」と、来オフのメジャー挑戦も視野に入れている五十嵐の胸の内を代弁した。

 スワローズマンは、小学5年生まで渋谷に住んでいて神宮球場に通っていたという蝶野をヤクルト戦に招待することを約束した。蝶野も「オレのセコンドについてくれ。来年1月4日の東京ドーム大会はどうだ?」と破格のオファーを出したが、「その日は五十嵐が自主トレに出発するので…」となぜか固辞。五十嵐とスワローズマンが同時に現れる日は、来るのだろうか。
(スポーツ報知)

スワローズマンが五十嵐の悩み蝶野に相談

 スワローズマンがプロレスラー蝶野正洋と合体だ!! 幼少時代に何度も神宮球場へ足を運んでいたという蝶野と28日、都内で対談が実現。“友人”のヤクルト五十嵐亮太投手(29)へ、モチベーション維持や心構えなどについての「金言」を授かった。

 謎のマスクマンは、球速160キロを目指す友人のために次々と質問を浴びせた。五十嵐がメジャー移籍を含め新たな刺激を欲して不安でいると説明すると、蝶野は「不安はあったほうがいい。何もないとそこで終わってしまうから」と力説。来年5月に30歳を迎える同投手へ、「30代は体力のある20代に比べ、経験や気持ちの部分が大きくなってくる」と話した。

 海外自主トレのため来年1月4日の新日本プロレス・東京ドーム大会でのセコンド要請は辞退したが、今後のタッグ結成を約束。「五十嵐との共通点も多く、彼にとってすごく励みになると思う」と、マスクの奥でほくそ笑んでいた。
(日刊スポーツ)



先日、スワローズマンが現れた記事が載っていて、蝶野にお会いしたいという事でしたが、実現したようですね。今の時期、ニュースネタを提供してくれる亮太の知り合い(!?)、

スワローズマン

に感謝です。

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テーマ : 東京ヤクルトスワローズ
ジャンル : スポーツ

大奥

といっても、ドラマの話ではありません。


ヤクルト“大奥状態”捕手9人正妻争い

 ヤクルトは来季、捕手の競争が激化する。横浜からFA宣言している相川亮二捕手(32)の獲得を目指しているが、すでに6人、育成1人、新人2人と9人体制。それでも鈴木球団社長は「捕手はウイークポイント。相川選手に来ていただきたいのも、ほかの選手へいい刺激になるから」と、競争による底上げの必要性を強調した。

 今季は福川、川本ら4捕手が1軍で出場したが、最後まで固定できなかったことが5位低迷の一因となった。ドラフトでは2捕手を獲得、2軍でも内野手登録の大塚を捕手へコンバートするなど、尻をたたいて強化していく構えだ。

 リードや守備面だけでなく、当然打撃面でもリーグワーストタイ本塁打数のチームへ貢献することが求められる。「良き女房」は一家に1人。攻守にバランスの取れた正妻となるため、大所帯で激しい戦いが展開されそうだ。
(日刊スポーツ)



捕手は「正妻」とも呼ばれてますから、大奥に例えたのでしょうね。

今日のスポーツ紙各紙、有馬記念がメイン(当然でしょうけど)となっていますから、スワ記事があったのは同紙だけでした。

で、その有馬記念、ダイワスカ―レッドが37年ぶりの牝馬での優勝を飾りました。レース自体はテレビで見てましたが、馬券は買ってません。結局今年一度もJRA馬券買うことなく、終わりました。

明日の東京大賞典も買わ(え)ないでしょう。なぜなら、明日も仕事ですからね。昨年も29日が仕事納めだったのですけど、その日は、14時過ぎには帰れましたが、今年はその時間には終わらないでしょうからね。もっとも今年の大賞典、10頭と寂しい出走頭数になってます。

テーマ : 東京ヤクルトスワローズ
ジャンル : スポーツ

サバイバル紅白戦?

高田ヤクルト1、2軍振り分けサバイバル!

 ヤクルトが、来年2月の沖縄・浦添キャンプで1、2軍のサバイバルマッチを行うことが26日、分かった。来季は2軍も沖縄・東風平野球場で春季キャンプを実施するため、2軍が宮崎に移動する前の2月12、13日にガチンコの紅白戦を行い1、2軍を振り分ける。

 1軍にいたければ結果を残せ!! 2年目を迎える高田ヤクルトが、来春の沖縄・浦添キャンプで生き残りをかけた“入れ替え戦”を敢行する。

 「2軍も沖縄で1次キャンプをやるから、2軍の選手も自分の目でみたい。入れ替えもしやすくなるしね…」

 高田監督の予告通り、2月12、13日に1、2軍の混成チームによる紅白戦を開催。この結果を参考に1軍メンバーを再編成するつもりだ。

 今春キャンプでは紅白戦も行わなかったが、来年は違う。来季から2軍も同じ沖縄にいるなら、争わせない手はない。2軍は14日に従来の宮崎・西都市に移動するするため1、2軍のボーダーラインにいる選手にとっては来シーズンを左右する大事な1球、1打席となりそうだ。この計画に、選手も反応。1年目の今季は未勝利に終わった加藤も「去年の二の舞にならないよう、オフからしっかり調整します」と早くも気合が入った。来春、沖縄で散る火花が今季5位に終わったツバメ軍団を変える。
(サンケイスポーツ)



ヤフーのトップページのトピックスにも紹介されてましたが、来年のキャンプ前半は、一軍二軍とも沖縄でキャンプを行うために、実現できます。ただ、二軍組に回っているのは、主に若手や一軍の控え組(松井、志田)、今年の例で言うなら、自主調整が任されているベテラン(木田、真中)もあてはまるので、記事のようなサバイバル紅白戦にはならないかと思います。記事を見ると、記者の主観で書いてますしね。

とはいえ、畠山はキャンプは二軍組でしたし、二軍組に回ったとしてもチャンスはあるという気持ちで臨めますね。サバイバルと云うより選手の

モチベーションアップを与えるきっかけづくり

と云う感じになりますかね。

テーマ : 東京ヤクルトスワローズ
ジャンル : スポーツ

小野公誠の来季

3週間ほど前の記事になります。


パソコンと格闘 小野スコアラー転身

 先月末の球団納会後。高田監督から「パソコン頑張れよ!」と声を掛けられた小野は頭をかきながら会場を引き揚げた。「慣れないけどパソコンは毎日触っています」。新たな職場は球団スコアラー。捕手の経験を生かして後方支援に回る。

 古田前監督にあこがれてヤクルト入り。“古田超え”は夢に終わったが「野球にも人生にも生かしていけることを言っていただいた」と感謝する。自己最多の62試合に出場した翌年の06年、持病の腰痛が椎(つい)間板ヘルニアという形で爆発。以降は腰、ひざ痛との闘いだった。

 今季10打席無安打で迎えた10月12日横浜戦(神宮)での引退試合。「涙で球が半分しか見えなかった」と夢中で振った打球は左翼フェンスを越えた。97年のプロ初打席も本塁打で、初打席と最終打席の一発は史上初の快挙。「一生懸命やっていればいいことがある」。プロ1年目のユマキャンプ中、同部屋の古田から送られた言葉を思い出していた。
(12月4日付スポーツニッポン)



スポニチ恒例の「惜別球人」からです。

記事によると、06年から腰とひざ痛が悪化していたようです。06年と云えば、古田PMが就任した年、一部で、なぜ小野を(一軍へ)上げないという声がありましたが、古田前監督はその事情が分かっていたのでしょう。昇格した際も捕手ではなく、あくまでDH、またはファーストの起用でしたからね。

プロとしては決して大成したわけではありませんが、プロ初打席と最終打席がホームランと云う快挙、シーズン終了直後の報道ステーションのスポーツコーナーにも紹介されました。スワローズファンの中では、一生

記憶に残る選手

になったと思います。

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Author:ジャン
横浜在住のスワファンです。
2010年代はスワローズの年に。

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