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志田宗大外野手の10月10日




8回裏1死無走者、飯原の代打として登場。登場曲が「翼の折れたエンジェル」(中村あゆみ)。昨年引退した立浪の登場曲でもありました。

最後の打席は梅津からの2球目をサードゴロ。いわゆる、らしい…打球でしたか。スタンドも「えっ」って感じでした。




そのままライトの守備へ。嶋がライトへ打球を放つも守備を見せることなく、スタンドイン。結局、処理機会がありませんでした。




セレモニーの花束贈呈は、奥さまでした。




引退挨拶では、野球に感謝するとともに、スワローズ愛を強調していました。
「戦力になれなかったので、引退する」、潔い言葉での引退表明、なかなか言えないと思いますよ。

翌日のスポニチには、球団に残ると報じられており、具体的には二軍育成コーチ就任を調整中と先日の報知に載ってました。




横浜の吉見(現千葉ロッテ)からプロ初打席初安打を放ち、2週間後に初打点、2ヶ月後(岡田団長の命日の翌日)、広島の河内からプロ初ホームランをマークし、ドラフト8位ながらスワローズ若手有望株と云われてました。個人的には引退VTRにはありませんでしたが、8年前の10月10日(松井秀喜が50号を打った試合)、東京ドームでの高橋由伸への浅いライトフライをタップアップし、見事生還した走塁は現地に居ましたけど、今でも記憶に残ってますね。

青木の台頭が大きく、代役でスタメン起用される試合があるもレギュラーを取るまでには至りませんでした。守備と走塁が安定したので、終盤の代走、守備固め等には起用されました。ただ、打撃面でのレベルアップが出来なかったのが、9年で引退する事になってしまった要因の一つでしょうね。昨年のCS第3戦8回表の代打での併殺が、プロ選手として「終わった」一打だったかもしれません。

とはいえ、貴重な選手の一人であった事に変わりません。戸田で見てると、若手からの信望は厚く、頼りにされていた一面もありましたし、秋季キャンプなどで、子供たちへの野球教室での様子もテキパキと指示を出している所を見ると、指導者としての資質もあるように見えますから、報知の報道通り、育成コーチ就任ということになれば、志田コーチによって、未来のスワローズを背負ってたつ選手も出てくるかもしれません。

9年間と云う短いプロ生活でしたけど、お疲れ様でした。
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テーマ : 東京ヤクルトスワローズ
ジャンル : スポーツ

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横浜在住のスワファンです。
2010年代はスワローズの年に。

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